特徴等 |
石清水八幡宮は、桂川、宇治川、木津川の三川の合流点にある男山に所在し、貞観2年(860)の創建以来、公家や武家をはじめとして広く崇敬を集めてきた。創建後はたびたび社殿を焼失等したが、その都度復興し、近世初頭には、天正8年(1580)の織田信長による社殿修復に続き、慶長3年(1598)から豊臣秀頼による境内再興が行われた。その後、寛永11年(1634)に江戸幕府により現在の本社社殿群が造替され、さらに境内社などの造替が続けられたと見られている。 石清水八幡宮本社の社殿群は、長大な八幡造本殿と、独特な空間構成を持つ幣殿及び舞殿等を瑞籬や廻廊で囲み、緊密に一体化した比類ない構成になり、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い近世神社建築であるとして、10棟が国宝に指定されている。 廻廊は本社社殿の周囲に巡らされており、楼門の東に発して北に折れ曲がり東門に至る延長十三間の廻廊、楼門の西に発して北に折れ曲がり西門に至る同じく延長十三間の廻廊、および両門から北に発して内側に折れ曲る延長二八間のコ字形の廻廊の三棟から成っている。いずれも梁間二間の二棟廊の外面に一間通りの庇を付けて低く床を張り、さらに外側に刎高欄付の切目縁を廻らせた特異な形式で、一重、入母屋造、本瓦葺である。東門の北寄りには神庫が配され、同門の南側や西門の南北側を間仕切り、東門南側に東ノ経所、西門南側に神饌所、北側に摂末社神饌所と西ノ経所が配されている。廻廊南半部は、かつて貴人の参詣時に着座所となるなど礼拝施設としての性格ももち、北半部は祭典時の楽人控所などに使われた。 特別公開で本社社殿を拝観した時、廻廊内に「御花神饌(おはなしんせん)」置かれていたが、これは九月十五日に行われる石清水祭の折に神饌とともに山下頓宮殿の神前にお供えされるものとのことであった。 参考資料:石清水八幡宮案内リーフレット(石清水八幡宮)/国指定文化財等DB(文化庁) 2022-11-9 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
533 石清水八幡宮本社 廻廊(背面) (国宝) |
寛永11年 (1634) |
桁行二十八間、梁間二間、外面一間通り庇付、一重、入母屋造、本瓦葺、神庫 桁行三間、梁間三間、高屋根、入母屋造、本瓦葺 |
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京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |